定年までまだ時間がある50代。まだ、名刺はあります。役職も、席も、来週の予定もあります。それなのに、ふとした瞬間に、今のこの名刺の先が思い描けなくなる。
役職定年の通知。出向の打診。早期退職の説明会。あるいは、はっきりしたきっかけはないのに、「このままでいいのだろうか」と感じる朝。外から見れば、何も変わっていません。でも自分の中では、もう、どちらでもない場所に立っている感覚がある。
すでに名刺を返した方も、同じ場所にいます。行く場所がなくなった翌朝、30年分の経験があるはずなのに、「今は何をされているんですか」と聞かれて、言葉に詰まる。
先にお伝えしておきます。その感覚は、実力が落ちたサインでも、気持ちが弱いせいでもありません。研究の世界では、名前のついた状態として、長く扱われてきたものです。
その状態には、リミナリティという名前がある
その状態は、リミナリティ(liminality)と呼ばれます。語源はラテン語の「limen(敷居)」。家の内と外のあいだ。古い場所を離れたけれど、新しい場所にまだ入っていない、あの敷居の上に立っている状態です。
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定義
- リミナリティ(liminality)= 境界状態
- 古い立場から離れたが、新しい立場にはまだ入っていない「あいだ」の状態。語源はラテン語のlimen(敷居)。人類学者アルノルド・ファン・ヘネップが通過儀礼の三段階のうち「過渡」の期間として整理し、ヴィクター・ターナーが「どちらでもない、あいだにいる(betwixt and between)」存在として論じた。キャリアでは、役職定年、転職の合間、独立、役割の急な変更などで生じる。
もともとは人類学の概念でした。20世紀初頭、人類学者のアルノルド・ファン・ヘネップは、世界各地の通過儀礼(成人式、結婚、葬送など)を比べて、共通する三つの段階があると整理しました。
- 分離:それまでの立場や場所から切り離される
- 過渡:どちらの立場でもない、あいだの期間
- 統合:新しい立場として社会に迎え入れられる
この②の期間が、リミナル(境界)と呼ばれます。のちに人類学者のヴィクター・ターナーは、この期間の人を「どちらでもない、あいだにいる(betwixt and between)」存在だと論じました。それまでの地位や肩書きの外に置かれる、ということです。
ターナーはさらに、この期間に、同じ立場の者同士のあいだに生まれる肩書きを超えた強い連帯(コミュニタス)にも注目しました。境界に立つ人は孤立するのではなく、同じ敷居に立つ者同士で結びつく。この点は、あとで大事になります。
注目したいのは、儀礼の中では、この②が「不安な空白」ではなく、意味のある期間として設計されていたことです。
なぜ、昔の敷居は越えられたのか
キャリア研究者のハーミニア・イバーラとオティリア・オボダルは、2016年の論文で、元の概念には六つの前提があったと指摘しました。
- 客観的な状態と、主観的な「あいだにいる」感覚の両方がある
- 一時的である
- 誰もが通る(必須)
- 長老や、同じ境遇の仲間の共同体が支える
- 文化的に正統な物語(意味づけ)がある
- 次の段階へ進む(役割の階段を上がる)
成人式を思い浮かべてください。導いてくれる年長者がいて、同じ年の仲間がいて、「ここを越えれば大人」という誰もが知る物語があり、越えた先に確かな立場がある。敷居の上は不安でも、周りが支えてくれる構造でした。
ただ、支えがあれば十分だったわけではありません。もう一つ、目立たない条件がありました。
昔の筋書きは、なぜ合わなくなったのか
昔の敷居が越えやすかった理由は、もう一つあります。老後という敷居そのものを、家族が支えていたことです。
調査が始まった1986年(昭和61年)、65歳以上の人の多くは子ども世帯と同居していました。親と、子ども夫婦と、孫が一緒に暮らす形です。それが今はどうか。厚生労働省・2025年国民生活基礎調査によると、65歳以上の者のいる世帯のうち、三世代世帯は5.8%。代わって単独世帯が33.8%で最多になっています。全世帯で見ても、単独世帯が35.4%で最多です。
かつては、老後の支えは、家族の中に自動で用意されていました。子どもと同居し、面倒を見てもらう。それが当たり前の筋書きでした。今は、そうとは限りません。
平均寿命も延びています。私たちの親の世代が定年を迎えた頃(平成7年)、平均寿命は男性76.38年、女性82.85年でした。今は、男性81.35年、女性87.33年です。この30年で、5年前後延びました。
家族という支えが薄くなり、その先の時間も長くなりました。だからこそ、敷居を越える形を、自分たちで作る必要が出てきています。
今のキャリアの敷居は、支えが薄い
イバーラとオボダルの主張の核心は、ここからです。
現代のキャリアで起きる境界状態、たとえば役職定年、転職の合間、独立、役割の突然の変更などでは、先の前提が成り立たないことが増えています。導き手も、共通の物語も、同じ場所に立つ仲間も、自動では見つからなくなっています。次に何が来るかも決まっていません。
そこで二人は、六つの前提を「守るべき条件」ではなく「変わりうる変数」として捉え直しました。前提が外れた状態、つまり制度の薄いリミナリティも、同じ概念で説明できるようにしたのです。
そのうえで、二人は二つのことを論じています。
一つ目。制度の薄いリミナリティは、耐えるのが難しい。支えも筋書きもないのですから、当然です。
二つ目。しかし同時に、アイデンティティが育つ余地は、むしろ大きい。決まった階段がない分、自分で選び、組み立てられるからです。
そしてこの余地を活かす条件として、成人発達理論を引きながら、この過程は「identity work(自己を整える作業)」よりも、「identity play(試して遊ぶこと)」に近いものである必要がある、と提案しています。
なぜ「決める」より「試す」のか。identity workが、すでにある自己像を整える作業に近いのに対し、identity playは、まだ決まっていない自己像を、小さく試して確かめていくことです。境界状態では、古い自己像はもう使えず、新しい自己像はまだありません。整える対象がない時期に整えようとしても、空回りします。だから、先に試すのです。
・境界状態は、名前のついた、研究されてきた状態である
・昔は、導き手・物語・仲間が、それを支えていた
・今は、それが自動では付いてこない。だから、より難しい
・その代わり、育つ余地は大きい。ただし条件は「決める」より「試す」
なぜ、名刺を返す前から始まるのか
リミナリティは、肩書きが実際に変わった日に始まるとは限りません。「今の役割が続く未来」を思い描けなくなった時点で、もう、敷居の上に立っています。
そしてもう一つ、名刺があるうちに気づいておきたいことがあります。
会社に在籍している間、私たちは無意識のうちに、会社が長年積み上げてきた信用を借りて仕事をしています。「◯◯社の△△です」と名乗るだけで、初対面相手でも信用される。名刺を返した瞬間、その信用は手元を離れます。残るのは、自分の中にあるのに、まだ言葉になっていない経験だけです。
実力が落ちたのではない。橋がなくなっただけ。私は何度もそう伝えてきました。
だとしたら、名刺があるうちにしかできないことがあります。会社の信用という橋が、まだ架かっているうちに、名刺なしで自分は何をしている人かを、試しておくことです。
返してからでも遅くはありません。ただ、橋が架かっているうちに試しておく方が、慌てなくて済みます。心づもりも出来ます。これが、名刺があるうちに始める、いちばんの理由です。
では、何をすればいいのか
三つあると考えています。
1. 試すこと
「何者か」を一つに決める前に、複数の候補を並べて、言葉にしてみる。決めるのは、そのあとで構いません。
2. 見せること
一人で試していると、自分の言葉が相手にどう届くのか分かりません。試したものを誰かに話し、反応をもらう。その反応が、ただの試しを「これが私だ」という手応えに変えていきます。前提4の「仲間の共同体」が現代では自動で付いてこないなら、自分で用意するしかありません。
3. 同じ敷居に立つ人と一緒にやること
導き手がいなくても、同じ場所に立つ仲間がいるだけで、この状態の重さは大きく変わります。ターナーが見た「コミュニタス」は、現代でも作れます。
今日できる、小さな試しをひとつ
名刺を使わずに、自分は「何をしている人」だと言えるか。思いつくまま、三つ書いてみてください。
正解を探す必要はありません。書けなくても構いません。書けなかったこと自体が、今の自分の場所を教えてくれます。
敷居の上にいる時間は、空白ではありません。儀礼の中でそうであったように、意味のある期間として使うことができます。人的資本を社会資本へ変換するとは、こういうことです。
よくある質問
リミナリティとは何ですか?
古い立場から離れたけれど、新しい立場にはまだ入っていない「あいだ」の状態です。語源はラテン語のlimen(敷居)で、家の内と外のあいだを意味します。人類学者アルノルド・ファン・ヘネップが通過儀礼の三段階(分離・過渡・統合)のうち過渡の期間として整理し、ヴィクター・ターナーが「どちらでもない、あいだにいる」存在として論じました。キャリアでは、役職定年、転職の合間、独立、役割の急な変更などで生じます。
名刺がまだあるのに不安を感じるのは、気持ちが弱いからですか?
違います。リミナリティは肩書きが実際に変わった日に始まるとは限らず、「今の役割が続く未来」を思い描けなくなった時点で、すでに敷居の上に立っています。実力が落ちたサインでも、気持ちが弱いせいでもなく、研究の世界で長く扱われてきた、名前のついた状態です。
なぜ現代のキャリアの境界状態は、昔より越えにくいのですか?
かつての通過儀礼には、導いてくれる長老、同じ境遇の仲間、誰もが知る物語、越えた先の確かな立場という支えがありました。キャリア研究者のハーミニア・イバーラとオティリア・オボダルは2016年の論文で、現代のキャリアではこれらの前提が成り立たないことが増えていると指摘しています。導き手も共通の物語も仲間も、自動では見つかりません。
境界状態では、何から始めればいいですか?
「決める」より「試す」ことからです。イバーラとオボダルは、この過程はidentity work(自己を整える作業)よりidentity play(試して遊ぶこと)に近いものである必要があると提案しています。境界状態では古い自己像はもう使えず、新しい自己像はまだないため、整える対象がありません。まず名刺を使わずに「何をしている人」と言えるかを三つ書き出すところから始められます。